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2010年2月25日 (木)

週刊朝日3月5日号~「答えを誤ると沖縄の怒りが爆発する」保坂展人が聞く・大田昌秀元沖縄県知事インタビュー

「答えを誤ると沖縄の怒りが爆発する」

太田昌秀元沖縄県知事インタビュー

私が沖縄を初めて訪れたのは1977年のことだ。

日本復帰から5年、車はまだ左側通行に切り替わる前で、

コザ(現・沖縄市)の街は閑散とした今と違い、

深夜まで米兵たちで騒がしかった。

「基地撤廃」を掲げた太田昌秀氏が知事に当選したのは90年11月。

その誕生の瞬間もこの目で見た。

その太田知事は2期目の95年秋、米軍用地の強制収用に

必要な代理署名を拒否して政府に反旗を翻した。

宜野湾市の米軍普天間飛行場の返還が日米両政府で突如合意されたのは、国と県が真っ向から対立していた96年4月。

橋本龍太郎元首相の「普天間を取り戻したぞ」という

記者会見での上気した表情は忘れられない。

だが、普天間の舞台の移設先を

沖縄県内に作るという条件が

ネックとなり、

合意から14年になろうとしている今なお

返還は実現していない。

迷走する「沖縄問題」を解決する糸口を探るために

「普天間返還」が急浮上した当時の沖縄県知事、太田氏を訪ねた。

~鳩山首相が普天間飛行場の移設先を決める期限を5月末に設定したが、結論の先送りとして批判を浴びました。

「普天間」の結論は、これからの

「沖縄の運命」を

文字通り決定づけるものだから、

あたふたと決められてはたまったものでは

ない。

沖縄からみると性急に結論を出さなくて

よかったと思っています。

アメリカからみてもあわてる必要はないようです。

日本では積極的に紹介されていないけれど、

アメリカの軍事評論家や研究者の間では

鳩山新政権は自分たちで結論を出す時間の余裕が必要だという論調が

主ですし、

そもそも「普天間問題が日米関係を壊すことにはならない」という意見が多いのです。

そういった「アメリカの内情」を

アメリカの名門スタンフォード大学大学院で博士号を取られて

アメリカ人のものの見方、考え方を

じかに知っておられる鳩山さんは、よく御存じなのかな、とも

思いました。

~普天間返還で日米が行為した時のことを振り返らせてください。

96年4月、橋本首相から電話があったそうですね。

県庁で三役会議をやっている最中でした。

総理からじかに電話をもらったのはその時が初めてで、

「普天間を返すことに決めたから」と。

それはありがたいことでしたが、チラリと、

「ヒョっとしたら代わりの基地を作らないといけないかもしれない。

今後協力してくれ」と言われて。私はハッとして

「そういう大事なことは知事の一存では決められません」と

言ったんです。

すると総理はムッとされて

「俺はだれにも相談せず、

モンデール(当時の駐日大使)さんと二人だけで

決めたのだから、知事もすぐに(代理署名を)決断してくれ」

と言われました。

中身も分からないのに決断しようもないので、

「三役会議など正式ルートでやりますから」

と返しましたら

「じゃあモンデールさんに代わるから」と。

モンデールさんは

「良かったよかった」と言うだけで、代替基地のことは一言も

ありませんでしたね。

橋本総理も代替基地の必要性をはっきりとはおっしゃらなかった。

具体的な話が出てきたのは11月になってからです。

それも最初は

「名護の東海岸」とぼかして、次第に名護市辺野古という地名が

出てきたのです

基地なくしたら税収効果78倍に

~何故移設先に辺野古が浮上したのでしょうか?

辺野古に基地を作る話は、実は本土復帰前から米海軍であったのです。沖縄を返還してしまうと米軍は勝手気ままに基地を作れない。

それで米海軍は66年にひそかに辺野古のキャンプシュワブに

海兵隊を集約させる計画を立てていた。普天間は住民居住地域に

近いため、ヘリ部隊は基地で爆弾を積むことができませんが、

辺野古ならいいですし。

それと、水深の浅い那覇軍港は航空母艦が入らないから、

シュワブに突堤を作って空母を入れるようにしようと。

しかし、当時アメリカの経常収支は

悪化していましたから、

費用を負担できずほったらかしに

していたのです。

今作れば建設費は日本が持つ。

米軍にとってこんなにいいことはない。

だから「やってくれ」となるのです。

    

    ~辺野古に作らないのであれば「普天間飛行場の現状維持」

     という声も政府内から聞こえてきます

大手マスコミはそう書いてますが

鳩山さんは「現状維持はない」と

はっきり言っておられる。

沖縄の人も普天間の現状維持を絶対に認めませんよ。

普天間飛行場は住宅密集地の

ど真ん中にあって

住民を巻き込んだ事故が

いつ起きてもおかしくない非常に危険な基地

です。

周辺には幼稚園から大学まで16の学校も

ある。

59年には宮森小学校に米軍ジェット戦闘機が墜落して

200人以上の生徒らが負傷、17人が死亡する事故がありました

http://bit.ly/5EBhXg

沖縄の人は決して忘れることができません。

2004年に米軍ヘリが沖縄国際大に墜落したときは、

改めて普天間の危険性が浮き彫りになりました。

~では、辺野古ではなぜだめなのでしょうか?

辺野古沖は(国の天然記念物で絶滅危惧種の)ジュゴンが住む海です。

食糧がなかった戦中戦後の苦境を

救ってくれた海です

その大切な海を傷つけることなく、

後々の世代に引き継がないわけには

いかないというのが、

地元漁民をはじめ沖縄県民の願いなのです。

また、県の「自然環境の保全に関する指針」によれば、

建設予定地は保護価値が最も高いとされる区域にある。

そこに基地を作ったら県の指針を裏切ることにもなります

そして、何より基地そのものがいらない

ということです。

私は知事時代に基地返還アクションプログラムを作って、

それを日米両政府に正式の政策にしてほしいと両政府にお願いしました。2015年までに段階的に全部の基地を返してもらう計画でした。

基地がなくなったら、沖縄経済をどうするのかという声があるのは

承知しています。

でも、実際は基地がないほうが経済は

潤うんです。

返還された基地跡地を民間が再利用している

現場を調べてみましたら、

雇用も所得も目を見張るほど増えていました。

たとえば北谷町のハンビー飛行場跡地に

ハンビータウンと言うのができましたが、

基地時代は約100人だった雇用が

今は1万人近い。

町が得る固定資産税の税収効果も

357万円から約2億8千万円に増えました。

復帰前は県民所得の過半数を基地からの収入が占めた時代もありましたが、

今は6%足らずです。

現在の沖縄経済は基地ではなく、

観光産業に支えられているのです

そして沖縄にやってくる若者が好むエコツーリズムのメッカこそ、

辺野古の大浦湾一帯です。

基地を作ったら、経済的面からの損失は非常に大きい

辺野古に移設する場合のコストについても考慮すべきでしょう。

日本政府は辺野古移設費用は5千億円くらいに収まるとしていますが、

米会計検査院によれば

1兆円以上です。

しかも、

辺野古基地の年間維持費は200億円近い。

その費用もアメリカは日本に負担させる

腹づもりなんですよ。

日米安保条約を平和友好条約へ

~1月の名護市長選挙で「基地反対派」の稲嶺進市長が誕生しました。

日本政府は、在日米軍再編に伴う新たな基地負担を受け入れた自治体に

アメとして「再編交付金」を与えてしますが、

辺野古の抵抗運動が激しい名護市は

このお金がもらえません

生活に困った土木建設業者は基地受け入れに動き、

土木建設業者に支えられている今の保守けん制も辺野古案を

容認していた。

それでも基地反対派の市長が当選した民意を

考えるべきでしょう。

これまでは、金さえもらえば町は活性化すると思っていたんですね。

政府も懐柔策として00年から「北部振興策」という名の振興予算を

毎年100億円、総額で約700億円支出しました。

ところが、

名護市の中心街はシャッターが

閉じたままです。

振興基金の恩恵は一般に人には浸透せず、

政府からもらう金は

何の役にも立たないというのが

実感としてある。

それが、基地反対派が推した市長を

当選させたのです。

米国も、この民意をないがしろにすべきではないでしょう。

~最後に辺野古に戻すという結論が出ないとも限らない。

そうなったらどうなるでしょうか?

沖縄の怒りが爆発する恐れがありますね。

70年のコザ騒動を思い出すといいですよ。

米軍車両だけが70台余り焼き払われました。

鬱積しているものがどういう形で表れるかが非常に気になります。

住民の怒りが沸点に達すれば、

極東最大の嘉手納基地を返せという運動が先ず強まるのは

目に見えている。

それこそ日米両政府が重要視する日米安保体制を

根底から脅かすことです

~日米安保を大切にしたいのなら、アメリカも沖縄の声に

耳を傾けるべきだということですね

地元の協力がないと、

有事に基地が機能するわけがないのです。

ちょっと話は変わりますが、フィリピンで91年に

エストラダ副大統領にお会いしたとき

「経済的に厳しい状態にあるのに、よく決断されましたね」

と申し上げたことがあるのです。

するとエストラダさんは

「経済的に苦しくても主権国家の誇りを

取り戻すことのほうが大事です」

と言われた。

これには感動しました、今の日本は戦後60年もたっているのに、

これだけ巨大な基地を抱えたまま平然としている。

日本の民主主義はまだまだだという気がします。

~95年の海兵隊員による少女暴行事件をきっかけに起きた

反基地の大きなうねりをどう受け止めましたか

戦後間もなくは沖縄県民は米軍に非常に友好的でした。

戦争の時に米兵に命を助けられた人たちがたくさんいましたし、

戦争直後の着るものも食べるものもない時には

米軍に軍事物資を無償で配給してもらいましたから、

感謝の気持ちさえ持っていました。

そんな友好関係が変わったのは

朝鮮戦争が始まってからです。

米軍は基地を拡大するために

農民から銃剣とブルドーザーで

土地を強制的に取り上げた

農民は必死に抵抗しましたよ。宮古、八重山、離党も含めて

全部、立ち上がった。

それが53年から58年まで続いた島ぐるみの土地闘争です。

そんなさなかの55年に石川市(現・うるま市)で

わずか6歳の少女が米兵に暴行された上に殺され、

嘉手納の海岸に打ち捨てられるという「由美子ちゃん事件」

が起きたのです

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yumikotyannjikenn.htm

それは大変な騒ぎになりました。

95年の少女暴行事件は、沖縄の人たちに、その事件を

思い出させたわけですよ。

「またか」と、一挙に怒りが燃え上がったのですね。

沖縄に住む人間の気持ちは、

沖縄戦のことから理解しないとだめです。

辺野古で座り込んで反対している人の話を聞いてもつくづく感じます。

しかし、

昨今の政府関係者の発言を聞いていると、戦争を知らない人だなあ、と

痛切に感じますね。

先祖から受け継いだ土地を

人殺しにつながる基地にしたくない、

人間の幸せに結びつく生産の場に

したいというのが、

沖縄の人の気持ちなんです

~今年、日米安保は60年を迎えましたが、見直しを求める声は

大きくありません

細川護煕元首相は98年に米国の「フォーリン・アフェアーズ」誌に

「米軍の日本駐留は本当に必要か」という論文を発表されましたね。

「思いやり予算」を延長せずに米軍に撤退してもらい、安保条約を

平和友好条約にすべきだ、と。

論文によると、アメリカの国外基地がある

主要22カ国を調べたら、

日本を除く21カ国が米軍に払っている

ホストネーションサポートより、

日本1国が払っている

「思いやり予算」のほうがはるかに

多かった。

だからこのへんで見直すべきだと言ったわけですね。

「思いやり予算」は78年に62億円で始まり、

多い時には年間2756億円支出しました。

わずか4万7千人の米軍に

駐留してもらうために

09年度までの32年間で払ってきた費用は

総額5兆6千億円です。

これに対して

沖縄の138万人を養うための

一般会計予算は

約6千億円です。

このまま永久にこの状態を続けていいはずがない。

鳩山さんは施政方針演説で安保50年の節目を機に

「日米同盟を21世紀にふさわしい形に深化させる」と言われた

私は鳩山さんの言葉に期待したいと思います

~あとがき

太田氏は、水も飲まずに3時間語り続けた。「基地の島・沖縄」を

恒久化するような辺野古移設案に拘泥しすぎると

日米安保の枠組みに大きな影響をきたすような

「沖縄の怒り」に火がつくと太田氏は指摘している。

(引用者 注:以下の記事も参照してください

佐藤優~普天間移設「法的強行」に激憤!平野官房長官よ、

沖縄を舐めるな!

http://honnosense.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-2f1a.html

「沖縄への差別」を語る大田氏の表情は険しい。

鉄の暴風と呼ばれた沖縄線をくぐり、知事として

基地撤去を目指して何度も

渡米した大田氏の言葉と

「キャンプシュワブ陸上案」が政府部内で再浮上する

今日の議論の落差はあまりに大きい。

だが、大田氏は鳩山首相に期待をかける。是非、鳩山首相も大田氏と

胸襟を開いて語り合ってほしい。

    >引用終了

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